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世界最大級のファッションブランド「ZARA」を学んでみよう

ZARA(ザラ)は、世界最大の売上高を誇るスペインのアパレルメーカー「INDETEX(インディテックス)社」の基幹ブランドです。インディテックス社のグループ全体の売上高は約1兆4000億円ですが、そのうちの3分の2をザラが占めています。世界85カ国に約1800店舗を展開し(グループ全体で5000店舗以上!)、まさに世界中の人たちから愛されているブランドといって過言ではないでしょう。また、創業者のアマンシオ・オルテガ・ゴアナ氏はスペインで一番の大富豪として知られ、世界長者番付においても投資の神様ウォーレン・バフェット氏を抜いて世界第3位です。

※上記の数字はいずれも2012年時点
※なお、インディテックス社の他のブランドも簡単にご紹介。
ZARA(ザラ)…メインブランド
■Pull & Bear(プル・アンド・ベア)…上品なベーシックライン
■Massimo Dutti(マッシモ・ドゥッティ)…大人エレガンスライン
Bershka(ベルシュカ)…カジュアルライン
■Stradivarius(ストラディヴァリウス)…デニムカジュアルライン
■Oysho(オイショ)…下着&ランジェリーブランド
■Zara Home(ザラ・ホーム)…インテリア・バス用品・キッチン雑貨ライン
■Uterqüe(ウテルクエ)…ラグジュアリーなバッグ・宝石・アクセサリーライン

意外と知られていないZARAのアレコレ

それだけの規模にもかかわらず、私たちはザラについてあまり知りません。なぜか。その理由は、同社はあまり広告・プロモーションにお金をかけないから。大々的なTVCF(CM)やポスターなどは滅多に見かけませんよね。ステマもないので、ブログで紹介されることも少ないといえます(笑)。あくまで「商品で勝負する」ことで、自然に口コミで広がっていくことを重視しているのです。会社としても「商品を決めるのは顧客であり、自分たちではない」と言い切っているぐらいです。ただ、そのかわり消費者と商品の出会いの場となる店舗については相当重視しているのだとか。ZARAが出店するのは、人通りの多い一等地ばかり。さらに出店エリアについて、たとえば高級ブランドは同じように高級ブランドの隣に出店したい、逆になるべくZARAのようなブランドからは離れてショップを構えたい、でもZARAは出来るかぎり高級ブランドの近くにお店を出すようにしています。

人気アイテムが次々と生み出される秘密

世界一の商品力。その源泉はどこにあるのでしょうか。ここがザラの真骨頂といえます。ZARAファッションと聞いて思い浮かべるのは、そう、ファストファッション。よく耳にする言葉ですが、あらためておさらいしてみると、「ファストファッション(fast fashion)」のfastは、「ファーストフード(fast food)」の「ファースト」と同じワードを使い、直訳すれば「速いファッション」となります(ちなみに「ファスト」はアメリカ英語の発音、「ファースト」はイギリス英語の発音というのは豆知識)。すなわち、外食産業の吉野家(牛丼チェーン)のキャッチフレーズに「早い、うまい、安い」というのがありますが、非常にファーストフードの本質を捉えている名文だと思います。なので、これをファッションに置き換えたら、「トレンドの、品質のいい、安い(アイテム)」といった感じではないかと。ただ、勘違いできないのは、ファッションの場合、「安い」が「チープ(cheap)」、すなわち「安っぽい、しょうもない」という意味ではなく、しいていえば「おトクだ、お値段以上だ」といった意味で使われているということ。だから、ザラのアイテムも決して低価格ではありません。FOEVER21(フォーエバー21)などのように1万円握りしめていけば全身トータルコーディネートできると思ったら大間違い。ジャケット1枚を買えるか買えないかという話です。それでもZARAで1万円のジャケットなら、大抵の百貨店やセレクトショップで売られているブランドでは5万円程度のクオリティだと業界では言われています。

チープじゃないファストファッション

ここからは少しコムズカシイ話。ZARAの強さを分析してみます。服が安くなるにはどうしたらいいでしょう。最初に思いつくのが、生地などの材質を下げることですよね。ですが、材質を下げてしまえば、どうしても見た目も着心地もチープになってしまいます。そこで原材料の品質を下げずに安くする方法を取らなければなりません。大量生産です。一気に大量に作れば、お安くなるのはイメージできますよね。しかし、大量生産には大きな弱点があります。失敗したら、大量に売れ残ってしまい、大損してしまうのです。いかに売れ残りを防ぐのか。GAP(ギャップ)やUNIQLO(ユニクロ)が採った戦略は、「なるべくベーシックなものを作ろう」というものでした。ベーシックだったら大ハズレが防げます。むしろ、長引く不況でオシャレ欲求が低い人たちにとってはベーシックで充分。事実、デフレ不況のまっただ中だった1998年にUNIQLOは、従来1万円が相場のフリースジャケットを1900円という衝撃価格で発売して大ブレイクしました。そして、「デフレカジュアル」という用語まで生まれました。

奇跡を実現する画期的メソッド「SPA」とは

GAPやUNIQLOの台頭と共に注目されたのが、SPA(製造小売業)という商売の仕方です。超シンプルにいえば、商品企画も製造も販売も、ぜんぶ1社で手がけるという方法。以前は、①アパレル会社のデザイナーが商品を企画して→②別会社の下請工場で作り→③別会社の商社などに卸し→④デパートなどの小売店にアイテムが並ぶという流れだったので、とにかくムダが多かったのです。肝心のデザイナーも「今月どのアイテムがどれだけ売れたのか、よくわからんちん」という状況でした。ところが、1987年、GAPは5月期の決算報告書の中で「我々は『Specialty store retailer of Private label Apparel』になる!」と宣言します。それはGAPオリジナルの造語でしたが、頭文字をとってSPAと呼ばれるようになりました。これがSPAの始まりです。以降、ひたすら効率を追求するSPAは高品質&低価格で躍進していきます。しかし課題も残されていました。

ファッション性と低価格を両立させた新しい潮流

同じモノを大量生産すれば、当然、世の中に同じモノがあふれます。そもそもファッションって「他人とは違う」「自分らしさ」を表現するものであるはず。ちまたでは「ユニばれ(ユニクロを着ていることがバレること)」なる言葉も広がるほど、消費者も飽きてきていました。そんな折、2008年に黒船が来襲します。H&M(エイチアンドエム)です。H&Mは、「ベーシック」重視なGAPやUNIQLOと違い、「ファッション性」を謳うファストファッションブランドでした。いきなり高級ブランドがひしめく銀座の中央通りにストアをオープンし、開店当日には5000人が並び、TVやファッション誌などマスコミにも頻繁に取り上げられ、社会現象になりました。あまりの勢いにGAPやUNIQLOもその後のデザイン戦略の見直しを強いられるほどでした。ある意味、「ファストファッション」なる言葉を日本に広め根づかせたのはH&Mなのかもしれません。そして、そして、広告宣伝費をばんばん使ってくれるH&Mに引きずられるカタチで注目されたのが我らのZARAでございます。当時は、GAPやUNIQLOをアメリカ系ファストファッション、H&MやZARAをヨーロッパ系ファストファッションと分けてカテゴライズされていました。

ファッションは鮮度が命

じつは、ZARAが日本初上陸したのは1997年のこと。日本のDCブランドを代表するビギ・グループ(出資比率51%)が提携先だったわりには地味なデビューでした。それからも1年に1ショップといった慎重なペースで店舗拡大を進めていきます。2005年にはビギ・グループとの提携を解消してインディテックス社の完全子会社となりますが、やはり転機となったのは2008年でしょう。その後の出店ペースは驚くほど加速度的です。H&Mが火付け役となり、ついに世界最大の巨象が動き出したのです。H&MやZARAの「ファッション性」の秘密は、「スピード」にあります。商品を企画して店頭に並ぶまで、一般的なアパレル企業が9カ月かかるところ、H&MやZARAはわずか1〜2週間で成し遂げてしまうシステムを構築しているのです。昔は、ファッション誌などを飾る最新のトレンドアイテムは一流ブランドを扱う高級百貨店や好感度セレクトショップでしか手に入りませんでした。一般の人は、後追いする大手アパレル会社が真似して作って売ってくれる翌年まで待たなければならなかったのです。だって、流行を取り入れて商品を企画・生産して販売するのに9カ月もかかるんですから。ところがどっこい、H&MやZARAはこの慣習をぶち壊しました。

消費者の声にとことん耳を傾けるモノづくり

ZARAの母体インディテックス社には約350名のデザイナーがいます(うち6名は日本人)。全員がスペインの本社にいて、年間4万点のデザインを手がけているとのこと。「消費者こそ主役で、デザイナーは脇役」と謳う同社ではデザイナーの顔が見えることはほとんどありません。デザイナーたちは、世界各地のファッションショーやタウンウォッチングなどのリサーチに出向き、本社に毎日のように寄せられる世界中のエリアマネージャーやストアマネージャーから情報やリアルタイムで更新される販売状況や在庫状況のもと、トレンドを見極め、デザイン案を作り、マーケッターとバイヤーとの議論の末、最終的な商品企画を決めていくのだそうです。そして、発注から48時間以内にはアイテムがショップで陳列されます。デザイン会議は2週間ごと。つまり2週間ごとに商品は入れ替わります。さらに世界中の店舗をまかなう大量生産とはいえ、1店舗に届くアイテムの数量はごくわずか。基本的に追加生産はないため、消費者は「気に入ったら即購入」が必須です。次に行ったときは売れ筋のものほど確実に売り切れています。こうしたZARAの方法をベネトンのクリエイティブディレクターのユー・グエン氏は、「ファストファッションのデザイナーは、ファッションショーを見て最新の服をコピーするのが仕事」と言いました。対してZARAは言います。「私たちが作っているモノはすべて、消費者がリクエストしたもの」と。ファストファッションの登場によって、「年2回コレクションを更新する」といった100年続いたファッションの伝統は終わりを告げました。現在ではルイ・ヴィトンなどの一流メゾンも年4〜6回新しいコレクションを発表しています。それが消費者の望んだ選択なのでしょう。

世界トップクラスのグローバル企業の舞台裏

ZARAの誕生した地方都市ラ・コルーニャは、スペインの中でもとくに寂れた地域として有名です。昔から貧しく、目立った観光名所もなく、天候にも恵まれず、住民が去っていく土地として知られていました。1963年、鉄道員の息子として生まれた創業者のオルテガ氏は、青年期にシャツ屋で働き、1972年の36歳のときに女性用パジャマと下着の下請工場を立ち上げました。当初はドイツやフランスの大手下着メーカーから仕事を請け負っていましたが、1975年にドイツのメーカーから突然の大量キャンセルが発生し経営危機に。起死回生の策として、新たに小売店を開拓したり、自らショップ経営に乗り出したりして在庫を売りさばきました。この苦い経験から、自社オリジナルブランドの創設を決意します。店名は最初、映画「その男ゾルバ」にちなんで「Zorba」にしようとしました。しかし近所に同名のバーができてしまい、同じ文字をもじって「Zara」としたとか何とか。こうして1977年に「ZARA」は産声をあげました。その後、1980年代を通して急拡大。1988年にはポルトガルへ海外初進出。1990年にはフランスのパリへ。あとはご存知の通りですが、注目すべきは長い歴史の中で一貫して守り続けている故郷へのこだわりです。いまも本社や生産工場、物流センターはラ・コルーニャ近郊にあり、商品の一部は地元で作られ、たとえコストが割高でも頑なに地元の雇用を守っています。

ZARA(ザラ)の店舗

日本には80店舗以上が出店しています。札幌、仙台、名取、水戸、つくば、宇都宮、川越、越谷、三郷、浦和、川口、流山、船橋、北千住(足立区)、武蔵村山、池袋(豊島区)、押上(墨田区)、錦糸町(墨田区)、吉祥寺、立川、新宿、丸の内(千代田区)、銀座(中央区)、原宿、渋谷、六本木(港区)、豊洲(江東区)、溝口、橋本、横浜、川崎、藤沢、高岡(富山)、金沢、岐阜、静岡、磐田、浜松、一宮(愛知)、名古屋、知多、鈴鹿、滋賀、橿原、京都、大阪、尼崎、西宮、神戸、広島、徳島、高松、松山、北九州、福岡、福津、熊本、宮崎、鹿児島などにあるようです。詳しくは下記リンク(↓)内の『ショップ』をご覧ください。わかりやすい住所・地図が記載されています。

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