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ストリート・ウオッチング(青山ストリート)

【概要】
江戸時代は、徳川家康の重臣である青山忠成の青山一族が屋敷を構えていた以外には、雑木林が広がるだけの一帯だった。時代はずっと下って、戦後、連合国軍の家族が住む巨大なワシントンハイツが代々木付近に忽然と現れると、青山、表参道、六本木が彼らの生活の場として発展していく。青山は、紀ノ国屋が農薬使用の野菜「清浄野菜」のGHQ指定販売店となったり、日本初のボーリング場ができるなど、急速にアメリカ化が進んでいった。さらにもう1つのターニングポイントとなったのは、1964年の東京オリンピックである。ワシントンハイツは返還されてオリンピック村となり、現在はその跡地に国立代々木競技場、代々木公園、NHK放送センターが存在するが、大規模な都市整備によって、青山は木造住宅から近代建築ビルが立ち並ぶ都会的な景観へと変貌を遂げていった。同時並行で、外国人街となった青山周辺には、外国の生活用品、インテリア、雑貨、カフェ、バー、外資系企業などが集まる土壌が形成されており、その雰囲気を好んだブティックやデザイナーが流入してくる。1964年には「VAN」が、1968年には「ニコル」が、1972年には「コム・デ・ギャルソン」が、1974年には「イッセイ・ミヤケ」が店舗を構えた。1980年代に入ると、DCブランドブームが起こり、青山はその中心地となり現在へつづいている。いまや名実共に「日本を代表するファッションの発信地」となった青山では、アパレル、インテリア、飲食店、さらにはヘアサロンやネイルサロンまで、お洒落に関するすべてが揃う。そして、こうした“過剰”は、従来のいわゆる「ギョーカイ人」だけではなく、若者やおのぼりさんも訪れるような親しみある街へ、青山エリアを変えようとしている。

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