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ストリート・ウオッチング(新宿ストリート)

【概要】
江戸時代初期、徳川家康の小姓(秘書係)だった内藤清成の一族が住む屋敷だったところに、甲州街道の日本橋(五街道の起点)と高井戸宿の中継地点として、「内藤新宿」が設けられた。現在の新宿二丁目辺りである。甲州街道のほかにも鎌倉街道や成木街道(現・青梅街道)が近くにあり、たちまち多くの宿ができ賑わったが、同時に岡場所(風俗街)としても急速に発展していくことになる。明治以降は、正式に「遊郭(政府公認の風俗街」となり、いわゆる「赤線」地帯として活気と欲望にあふれていた。一方、1887年には、そんな新宿の中心地(現在の新宿二丁目近辺)の外れに「新宿駅」が誕生する。すると、西方面からの物資輸送の要所として注目されるようになった。大発展の転機となったのは1923年の関東大震災である。すっかり荒廃してしまった地に、再開発と近代化の波が押し寄せ、新宿通りを中心に建築ラッシュが起こった。三越、ほてい屋、伊勢丹、二幸といったデパートが次々と建ち、それまで沼地だった歌舞伎町一帯も整備され、中村屋カリーや高野商店(現・フルーツーパーラー)、カフェ、劇場、映画館などが続々とオープンする。戦後、東京大空襲によっていったんは焼け野原になるも、巨大な闇市として栄え(闇市の面影は西口「思い出横丁」や「やきとり横丁」、ガード下などに残る)、新宿は名実共に日本随一の繁華街となった。

1960年代、池田内閣の所得倍増計画による高度経済成長を迎えると、新宿の発展は加速した。赤線が廃止になり、新宿二丁目にいた飲食店、キャバレー、風俗店はこぞって歌舞伎町へ大移動。歌舞伎町は世界有数の歓楽街へと生まれ変わり、残された新宿二丁目にはマイノリティが集まり世界有数のゲイタウンへと生まれ変わろうとしていた。さらに政府による「新宿副都心計画」のもと、沼地と浄水場ぐらいしかなかった新宿西口に超高層ビル群を建設することが決定。その開発は1991年に都庁が移転してくるまでつづいた。また、歓楽街、飲食街、オフィス街、マイノリティ、百貨店・・・あらゆるものを飲み込む新宿には、日本全国から多種多様な若者も集まるようになる。「ヒッピー族」がギターを弾き、「フーテン族」がシンナーを吸い、「サイケ族」が睡眠薬を売り、「カミナリ族」が騒音で走り回り、「アングラ族」が踊り狂い、「全共闘青年」が吠え、「アイビー族」がナンパをしていた。団塊の世代の青春は、まさに日本の青春であり、新宿の青春だった。ところが、1970年代からは、若者文化の中心が原宿・渋谷へ移り、新宿は「アダルトの街」「垢抜けない街」「アングラな街」「ヤクザの街」として時代の中に取り残されてしまう。そんな新宿も90年代後半からは、再び活気を取り戻してきた。南口にサザンテラスが完成し、フラッグスがオープンすると、お洒落なカフェやセレクトショップが南口や東口に出店してくるようになった。そして、2006年、東口の駅ビル「マイシティ」が「ルミネエスト」に変わった頃には、新宿のお洒落感は一気にアップ。いまや渋谷を卒業した若者やヤングファミリーの街に生まれ変わりつつある。

【新宿ストリート】
現在、新宿は、カルチャーごとに●のエリアに分かれる。まず、新宿駅直結の『エキチカエリア』(南口の「サザンテラス」や「タカシマヤタイムズスクエア」もカルチャー的にここに含む)。それから新宿駅より東側の『新宿三丁目エリア』と、靖国通りを渡った『歌舞伎町エリア』。つづいて、新宿駅西口のオフィス&電気街『西新宿エリア』。加えて、『新宿二丁目エリア』である。

■エキチカエリア
新宿駅を取り囲むように立ち並ぶ駅ビルと、地下街を含む一帯である。小田急百貨店、京王百貨店は小田急線・京王線・中央線、あるいは「最強の埼京線」に乗って都心を目指す中高年のハートを掴み、旧マイシティから生まれ変わった「ルミネエスト」は同じ電車に乗ってくる若者層をトリコにしている。また、南口のサザンテラスおよびタカシマヤタイムズスクエアは、お洒落感が漂い、セレブやマダム、カップルも安心して楽しめるエリアとなっている。

■新宿三丁目エリア
このエリアで最初に注目すべきは、伊勢丹と丸井である。伊勢丹は、日本で先駆けて「ティーンズ」向けの服を開発したり、日本初のメンズ専門店をオープンしたり、1980年代からはデザイナーズや高級インポートなど最先端の文化を発信しつづけてきた。一方、丸井は、日本最初のクレジットカード「赤いカード」を発行し、「ヤング」をターゲットに“分割でお洒落する”という文化を東京に根ざすことに成功した。この2つのデパートが、常に新宿ストリートをリードしつづけてきたといったも過言ではないだろう。また、現在では、グッチやティファニー、ルイ・ヴィトンなどの高級ブランドの路面店出店、新宿アルタや三越のリニューアル、ビームスタワーなどセレクトショップの進出、名古屋のブランド古着専門店コメ兵やユニクロの台頭など、余程コアなファッションマニアでなければ、お洒落に事欠かないエリアとなっている。

■歌舞伎町エリア
ヤクザやアジア系マフィアが跋扈する風俗街のど真ん中に「コマ劇場」や「東京厚生年金会館」、「新宿区役所」「ハローワーク」「新宿プラザ」「ミラノ座」といった文化施設や公共施設が点在し、なかなかシュールなエリアだった歌舞伎町も、2004年からはじまる石原都知事の『歌舞伎町浄化作戦』によって猥雑でダーティーな雰囲気は非常に薄れてしまった。ギラギラしていた風鈴会館もフツーの喫茶店になってしまい、街がクリーンになったら今度はクリーンな部分を担っていた「コマ劇場」や「東京厚生年金会館」がお役目を終えてしまう。長引く不景気で、ホストやキャバ嬢も元気がなく、お洒落にも控えめだ。雑居ビルの空室も目立ち、夜は以前より暗い。「東洋一の歓楽街」「眠らない街」そんな歌舞伎町の輝きは少しずつ失われていっているようだ。しかし光もある。相変わらず、ドン・キホーテは元気である。昨今のスピリチュアル・ブームで、花園神社も活気が出てきた。あとは、華僑の方と、新大久保のコリアンの方による「外国人観光客誘致」に期待したい。

■西新宿エリア
広大な淀川浄水場の跡地には、1960年代後半から、京王プラザホテルをはじめ、次々と高層ビルが建設された。1990年には東京都庁舎が完成し、21世紀に入ってからも、続々と高層ビルが建てられている。しかし現代的なオフィス街としてお洒落な雰囲気を醸し出していたのは1990年代までであり、現在はくたびれた雰囲気が否めない。一方、西新宿一丁目あたりは秋葉原に次ぐ一大電気街として発展してきたが、東口のヤマダ電機オープン後はこちらも陰が薄くなりつつある。また、西口ガード下は、通称「しょんべん横丁」と言われ、いまもなお終戦直後のレトロな雰囲気を残し、サラリーマン達の憩いの場として賑わっているようだ。

■新宿二丁目エリア
世界有数のゲイタウン。ゲイカルチャーのアイテムも多く揃う。1980年代後半から90年代をピークに栄えたが、現在はかつての輝きを失いつつある。景気の後退、およびインターネットの普及によってマイノリティの出会いの場が昔ほど重要ではなくなったことが要因だともいわれている。

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