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ストリート・ウオッチング(代官山ストリート)

【町の歴史】
江戸時代、代官山周辺は住民もほとんどいなく、たまに将軍が鷹狩りに来たり、見晴らしの良い猿楽塚に農民が日ごろの憂さ晴らしにレジャーで遊びに来たりするぐらいのエリアだった。明治時代に入ると、西郷隆盛の一族である西郷家がエリア一帯の土地を買い、西郷隆盛の弟である西郷従道侯爵の別邸があった場所は現在「西郷山公園」として残っているが、それでもポツリポツリと屋敷がある程度に変わりはなかった。転機を迎えたのは関東大震災。復興のため国策によって東京各地に財団法人同潤会(どうじゅんかい)の集合住宅「同潤会アパート」が建てられたが、代官山にも「同潤会代官山アパート」が建設される。さらに1955年には、外国人向け集合住宅「東急代官山アパート」が完成。芸能人やアーティスト、クリエイターたちが住むようになる。その後、南平台や青葉台などの高台には高級住宅が立ち並ぶようになり、代官山は閑静な住宅街へと発展していく。

そんな代官山をファッションタウンに変えた決定的な出来事が、1967年にスタートした「ヒルサイドテラス・プロジェクト」である。日本有数の米穀商で大地主だった朝倉家が日本屈指の建築家である槇文彦氏に依頼し着工した住宅商業コンプレックス施設「ヒルサイドテラス」。実に1992年の最終完成まで35年の月日をかけて行なわれたこの複合施設には、次第にお洒落なレストランやカフェが入居するようになり、1971年には「BIGI」が本社を構えるようになる。その後、エジプト大使館、セネガル大使館、デンマーク大使館、さらには安藤忠雄氏による「BIGI本社ビル」、鈴木エドワード氏による「オンワード樫山ビル」が続々と代官山に建てられ、お洒落な景観は加速していった。一方、1981年、「VANジャケット」出身の実業家であるゲン垂水氏がセレクトショップの先駆け「ハリウッドランチマーケット」(通称:ハリラン)をオープンを皮切りに、「ハイ!スタンダード」「ホームズアンダーウエア」「A.P.C」「ヴァアバスストップ」「コキュ」「A.T.」などファッションショップが代官山に次々と集まってくる。そして、2000年には、老朽化した同潤会アパートの跡地にランドマークタワー「代官山アドレス」が、2001年にはそのすぐ隣にショッピングモール「ラ・フェンテ」が完成。代官山は、“ツウ”な玄人だけではなく、パンピー(一般ピープル)までが大量流入する街へと生まれ変わった。

【代官山ストリート】
現在、渋谷は、カルチャーごとに5つのエリアに分かれる。北から『八幡通りエリア』『駅周辺エリア』『旧山手通りエリア』『駒沢通りエリア』『裏代官山エリア』である。

■八幡通りエリア
セレクトショップが中心に集まっている。近年、北へ伸び、渋谷の桜ヶ丘の裏側までエリアが広がってきている。

■駅周辺エリア
複合商業施設「代官山アクセス」「ラ・フェンテ」があり、子供からお年寄りまで安心してショッピングや観光を楽しむことができる。

■旧山手通りエリア
セレクトショップが中心。

■駒沢通りエリア
恵比寿駅につづく駒沢通りには個性的な店が建ち並ぶ。恵比寿駅に近づくとアーケードの商店街となる。

■裏代官山エリア
上記のエリアから外れた閑静な路地裏エリア。

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