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スタイル説明/パンク

1970年代半ば、ラジオから流れる商業音楽(当時はウエスト・コースト・ロック中心)に飽きていたニューヨークのアンダーグラウンドシーンの片隅で「パンク・ロック」は誕生した。原初のパンクであるNYパンクも当初から社会批判全開の歌詞であり、破壊的なビートと躍動感を備え、主にホモやSMについて歌われていたようだ。ルー・リード、イギー・ポップ&ストゥージズ、ラモーンズ、パティ・スミス、ニューヨーク・ドールズ、テレビジョン、ハートブレイカーズ、等々・・・数々のNYパンクバンドが生まれ、テレビジョンのリチャード・ヘルは、破れた服を安全ピンで留めていたが、このスタイルは以降のパンクファッションの基本となった。

1975年、リチャード・ヘルは、イギリスでヴィヴィアン・ウエストウッドとブティック「Let It Rock」を共同経営していたマルコム・マクラーレンより一緒にパンク・バンドを組まないか、と誘われるも断る。その2ヵ月後、マルコム・マクラーレンは、「ピンク・フロイドは嫌い」と書いたTシャツを着てリチャード・ヘルに外見がそっくりだったジョニー・ロットンを誘い、伝説のUKパンク・バンド『セックス・ピストルズ』を結成。裕福なアメリカと違い、高い失業率と階級差別に苦しんでいたロンドンの労働者階級の若者たちは、「ノー・フューチャー!」と叫ぶ彼らに共感し熱狂的に支持した。その頃には、労働者街キングスロード403番地のブティック「Let It Rock」は「SEX」に店名を変え、“反社会的”“挑発的”なSM系ボンテージファッションの服を販売していた。

かつて、マルコム・マクラーレンはシチュエーショニスト・インターナショナルという「資本主義の破壊と再構築」を目指すアナーキズムの政治団体に属していた。1968年のパリ五月革命(学生運動)にインスパイアされていて、かつアートスクールの学生だった彼は、ラディカルな思想(政治的な革命思想)をポップカルチャーに包み込んで世の中に仕掛けることを目論む。その集大成がセックス・ピストルズだったのである。

その後、スキャンダラスなパンク・ロックは、メディアを沸かせ、ダムドやザ・クラッシュ、ザ・ジャムなど多くの追随バンドを生み出し、音楽、ファッション、アート、グラフィック、政治、文学などあらゆるものを巻き込んでいった。そして、1977年、「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン(God save the Queen)」がチャート1位となり、国家警察の監視が厳しさを増し、バンドのメンバーが右翼に襲われ、パンク・ムーブメントはピークに達する。しかし、1978年にはジョニー・ロットンが脱退、翌年にはシド・ヴィシャスがヘロイン中毒で死亡すると、あっさり終焉を迎えてしまった。わずか18ヵ月だった。だが、人類の文化史に与えた影響は計り知れない。その後、パンクは思想部分を失い、純粋な音楽として、あるいは純粋なファッションとして、ハードコアパンク、ネオ・パンク、ソフトパンクなどへと進化していった。

【「パンク」に含まれるスタイル例】
■ニューヨーク・パンク
■UKパンク
■モード・パンクス
■パンク・ロッカーズ
■ストリート・パンクス

【代表的なブランド例】
ヴィヴィアン・ウエストウッド
ミルク・ボーイ
ヒステリックグラマー
アレキサンダー・マックイーン
PPFM

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