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スタイル説明/マンボスタイル

1950年代とは、世界的にも「ティーンズ(ティーエイジャー)」が誕生した時代だった。従来の社会には「大人」と「子供」しかいなかったが、家庭が豊になり子供達に自由が増えると、「大人と子供の中間」の層が登場してきたのである。アメリカでロックンロールが誕生し、ジェームズ・ディーンが活躍し、若者文学ビートニクの代表格であるジャック・ケルアックが「アップ・ビートで行こうぜ!」と叫んでいた頃、日本でも若者たちが新しい音楽と共に動き出した。ロックではなく、マンボで。1955年夏、都会のダンスホールは「反抗の象徴」である“細いズボン”(通称:マンボズボン。女性はサブリナパンツが主流派)をはいた男女で埋め尽くされた。ピンクのシャツを着た男や、ズボンをはいた女といった中性的なファッション、そして、鹿鳴館以来の社交ダンスとは違い、男女の役割がなく個人で踊れる画期的なマンボダンスは、当時の大人たちを困惑させるには充分な要素だった。その後、マンボは音楽業界が便乗し、レコード会社はこぞって新曲を発表していく。ちなみに、男性のファッションは、ズーティーズの影響を受けていた。

【同時代のスタイル】
1950年代

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